西郷隆盛について語ることは難しい。第一に、戦後日本の思想的停滞の中で、西郷は大東亜戦争における侵略主義の根源と考える向きが強くなる。松本清張『私説・日本合戦譚』(文春文庫)などはその時代状況を映した「傑作」と言って良いだろう。だが、これはそう問題ではない。より問題を困難にしているのは、第二に、西郷には二重性があったからである。国際政治(論)におけるリアリストの端くれとしての私は、西郷を否定せざるを得ない。だが、遠いものよりは近いものをこよなく愛し、またそれを守りたいと願う保守としての私は、私は西郷を肯定せざるを得ない。桶谷秀昭『草花の匂ふ国家』(文藝春秋)を読むとその感を強める。
偉大なる矛盾―戦略と精神
では、西郷の二重性とは何か。西郷が維新回天の偉業の最大の功績者であったことは論を俟たない。薩長同盟や廃藩置県といった、日本を存続させるための力を結集するための「血戦」は、西郷なしには成しえなかったであろう。西郷は武士の精神を体現しながら、いや、それゆえに日本のために武士を殺せた。だが、国家として存続するための「道」を説くために「征韓論」を唱えた西郷は、明らかに戦略を投げ捨てていた。なんと彼は、腐敗を極め弱体化した朝鮮と対露同盟を締結するために―そして「弱い」アジアが連帯するために、頑なに近代化を拒む朝鮮に単身乗り込み、開国を説きたいと主張した。自国の存続のためには力が必要であることを誰よりも知っていた西郷が、力を無視し崇高な理想に殉じようとした。弱国の連合が列強に対して何の役にも立たないことは歴史の示す通りである。まさしく偉大なる矛盾と言う他ない。
西洋近代を超えて―敬天愛人
賢明であった西郷が齢を重ねて呆けたのか。そういう捉え方もあるであろう。けれども、この観方は西郷の全人格―敬天愛人という思想を無視している。内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)に次のような下りがある。「文明とは、道の遍く行われることを賛称した言葉である」。そして、「文明と呼ぶに値する国ならば、未開の国に対する態度は仁愛を基本とし、丁寧に根気強く教え諭して開明に導くべきである」。したがって、「残忍酷薄な行いをなし、自己利益を図る国は文明ではなく野蛮と呼ぶべきである」。彼は、文明を自称する西洋列強の野蛮を非難するとともに、明治日本が取るべき道を定義した。
道義主義の終焉―西南戦争
だから、西郷は死ぬと分かっていながら朝鮮に対して筋を通そうとしたのであった。ここに、西郷が西洋近代に対する唯一の普遍的な対立軸を示したと賞賛される由縁がある。だが、この殉死は、他の多くの優れたリアリストたちには「道義的無謀」としか理解されなかった。そして、日本は西南戦争を迎える。この戦争は、西洋近代に対抗する日本文明の最後の主張であったと言ってよいだろう。日本国民は薩軍の死を称え、「西郷星」という歌を残した。だが、松本健一『「日本のアジア主義」精読』(岩波現代文庫)に詳述されているように、「近代」日本は国家存続のために脱亜論を選択した。西郷の主張は、玄洋社などの一部の右派において「アジア主義」として受け継がれていくが、「日本国民の総意」とはならなかった。「大東亜共栄圏」思想も歴史のフィクションに終わり、日本は西洋の「番犬」と成り下がり、現在に至る。
日本人の普遍思想―西郷南洲
残念ながら西郷は名実ともに歴史の彼方へ消えた。にも関わらず、江藤淳『南洲残影』(文春文庫)が指摘したように、西郷以上の普遍性を持った(政治)思想を日本人は誰も持ちえていない。このことは、石原慎太郎ら右派の発言に「アジア主義」が垣間見えることからも明らかである。いやそれどころか、現代日本には戦略も精神も皆無に等しい。このことをどう捉え、どう考えるか。それが「近代」を終えた我々に課せられた、最大にして最重要の思想的課題である。(ユキオ)
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